奇天烈トゥインズ (15分トリオ)2011

とにかくカウントでなく-間合い-で合わすユニゾンにとことん拘り、心も通じているかの如く振る舞う一卵性双生児の様に動く作品。その間合いの妙が、いつしか見るものの身体を何処か異次元の世界へと誘う。


リバイバル (60分ソロ)2010

ダンスボックス主催企画。オーディション組と選抜組から構成。

ソロ作品の新たな可能性の示唆となったソロ作品群。

Aプロ・下村唯(不条理の天使)/イム・ジョンミ(スペース4.5)/佐藤健大郎(ミューザー) 
Bプロ・
森山未來(不条理の天使)/西岡樹里(スペース4.5)/佐藤健大郎(ミューザー)
Cプロ・
ヤザキタケシ(スペース4.5/不条理の天使/ミューザー)1時間3本勝負


ミューザー(20分ソロ)2010

森羅万象全てはエネルギーを持ち、エネルギーは振動を持つ。私達の存在も生命活動と共に振動をしている。

地球上の全ては振動に溢れている。音も然り。

身体と音も密接に関わりあっている。

・・・と云う事で今回は音にこだわり音と戯れようと思っております。

自信はありませんが、とにかく楽しく音と戯れる事が出来ましたらお慰み。

勿論!常識的な音は・・・ない!

 


フリボラスパーソンズ(20分デュオ)2010

無音の時には自らの感じる音を通して踊り狂う二人の男。その後祭り囃子の音につられて舞台センターに来るとそこには情景描写のはっきりした曲がある。その曲にのり踊る必要性を感じずじっと佇み心でその音を聞く二人。

心に響くとその感情は自然に顔に浮かび上がる。いつしか曲は止み、又無音に戻る。そして又祭り囃子の音。

情景描写たっぷりの音と無音とを交互に使い、音の使用法に問題を投げかける笑劇のデュオ作品。

 


バンピーカーニバル(20分トリオ)2010

生アコーディオンとポップダンスを取り入れたパフォーマンス的要素の強い楽しい作品。

ラストの「瀕死の白鳥」を生のアコーディオンに乗せポップダンスで白鳥を真剣に舞う姿は

見るものの涙を誘う?・・・かも!


めくるめく世界(15分4人)2009

4人のダンサーでシンメトリーの動きに徹したダンス小作品。

万華鏡の世界を覗き見る様な感覚を呼び起こす立体曼荼羅。

形が変化する事の楽しさ不思議さを見るものの右脳に働きかける作品。


シンデレラ?(15分トリオ)2008

バイオリニスト柴田奈穂とのコラボレ−ション作品。

ヒール高20センチの靴を落としたのはだーれ?

拾った者も何故か気になるヒール高、思わず履いてしまい別世界へと誘われる。

ウィットとペーソスに溢れたシンデレラ。


クルクルクルクルクルルルルーン(15分ソロ)2007

メロディーパイプを振り回しながら、加工したメロディーパイプの音と共鳴させ会場全体を

風の国にしてしまう。

気ままに吹く風に翻弄されながらも、自由に生きていく様を表現した小作品。


蛸男の憂鬱(20分ソロ)2006

『in the Octopus garden-柔らかな夜に蛸は-』からのスピンオフソロバージョン


Weightless days (60分デュオ) 2006

通常ダンス作品は照明機材を用い、作品に色づけする。

しかしこの作品に於いて照明機材は一切使用せず、アンジェラとラファエロの作る

白と黒のシンプルな世界に絡み踊る。またコンピューターという時代の

先端のテクノロジーから生み出される彼らのグラフィックアートには通常生身の物は用いられないが、

そこにダンサーの身体を置く事で命を宿した生物の如く動き回る生命体を現出させる。

この作品はこれからの人間とコンピューターとの共生を示唆しているものとなる可能性を秘めていると思われ、

この可能性を多くの人に感じてもらいたい作品。 


in the Octopus garden-柔らかな夜に蛸は-

60分ソロ)2005

文化庁創作奨励賞佳作受賞者−森嶋也砂子−書き下ろしソロパフォーマンス。

怪人蛸男役に生き甲斐を感じ没頭している男の悲哀を、芝居と踊りと歌で表現した

シュールな一人ミュージカル


ブルータイム60分トリオ) 2004

「夜と朝」「意識と無意識」「動きと動き」「呼吸と呼吸」など、二つのもののはざまに存在する。

「表現出来ないあいまいさ」をもちながら、ないとなりたたないもの「目や触覚で認識出来ないが確実に

あるもの」空気・音・気(感情)など・・・。そんな日本独特の「間」という概念をダンスで表現。

3人のダンサーにより繰広げられるこの作品は、2人の間に挟まれる事で生まれる場に、それぞれがそれぞれの時間を体感する事で生まれる動き(ダンス)で構成されている。


ONE WAY45分デュオ) 2003

その名の如く2人のダンサーが舞台を右から左へ(一方向)45分かけて移動するダンス作品。これ以上ないシンプルなコンセプトの中で繰広げられる巧妙で奇天烈な時間・空間。

二人の駆け引きが新たなる世界を作り上げ、同じ方向に進んでいるにも関わらず

何重にも見えてくる道

観るものの想像力を掻き立てる多彩な一本道である。


 スペースⅩ60分トリオ) 2002

「スペースX」は1999年に創られた「スペース4.5」白テープシリーズを元に、拡大して創作された作品です。作品は2種類のソロダンス・ひとつのソロパフォーマンス・2種のデュオで構成されます。ひとりの人間からこぼれるように出てきた時間と空間、それが現実的な空間から虚構の空間へと変容していく、そして時が経つにつれひとつの時間の流れがいくつもの流れに分かれる。

変わることのないシンプルな白い四角いエリアは後半、観客のイマジネーションにより、より深く、拡大され、捩られていく。そして物語はひとりの人間の中に消えゆくように帰結する。


HAN☆PUKU70分ダンサー10人) 2001

(アートコンプレックス1928)この作品は歩く事・見る事・触る事・普段意識せずしている行為を意識する事で、 ただ無意識に流れて行く時間に何らかのエネルギーが生まれてくるのではないかという意識の元、創作を進めました。一つ一つ繰り返すにしても、それは「一期一会」一つ一つが違ったものであり、一歩の繰り返しが道になり世界になる。 一日の繰り返しが一年になり一生になる。一つの行為、或いは気持ち・或いは物に対して、 どれだけの愛情を注ぐ事が出来るのか、又その込めた愛情の繰り返しの先には何があるのか、 その事がどういう風に舞台の上に立ち現れてくるのか・・・・・


ケッテンショウキ(一抹の人間昆虫記)

30分ダンサー3人・アクター1人) 2001

 

アートコンプレックス1928)昆虫は脱皮する事によって物理的に美しい容姿と自由な身体を身につけ、

生をおおらかに全とうする。 逆に我々人間は脱皮することによって物理的な容姿や自由は必要としなくなり、

すべて余分なものがなくなった時完成され人生を全とうする。

この作品は一つの試みとして「起承転結」を「結転承起」と人間が脱皮していくさまを逆から進んでいくという

4部構成で進められます。虚栄を脱ぎ去る「第一の脱皮(ドラッグクイーン姿)」、

肉を脱ぎ去る「第二の脱皮(内臓人間姿)」、 自意識に縛られた自分を脱ぎ去る「第三の脱皮(ソロ)」、

目に見えない自分にとって大切なものが具現化してくる 「第四の脱皮(デュオ)」。

普遍的なシリアスなテーマ(輪廻転生)を、ダンスとユーモアを融合させ、 エンターティメントとアートの絶妙なバランスを

成立させた作品。


スペース4.5(タナトス小僧のエロスな気分)25分ソロ) 2000

隔離された場所に投げ出された男の刹那。

シリアスでコミカル・人間のどうしょうもない弱さや馬鹿な部分に愛情こめ、アヴストラクタルな形で踊られた作品。 スペース4.5(レッドトリッパー)が陰の場であるとするなら、このスペース4.5は陽の場である。


ici(ここ)(18分ソロ) 2000

さまよい続ける魂の行方・さまよい続ける肉の行方・さまよい続ける骨の行方

確かに自分はここにいるはず、いや或いはいるつもりなのか?

不確かな物体である自分。さて、いったい私の立つ場所とは?


U&K(30分ダンサー5人・ギタリスト1人) 2000

イソップの童話「うさぎとかめ」を我々流に再検証してみました。

わき目も振らず只ひたすらにゴールを目指す真面目で律儀なかめさん。

いい天気、いい景色に酔いしれ余裕のあまり昼寝にこうじるうさぎさん。

果たしてこのレースに勝利する意義があるのでありましょうか?

周りの状況を見られるうさぎさんは本当は優しいうさぎさんで、かめさんのひたむきさに打たれ、わざと寝過ごし負けたのかもしれませんし、 或いはたんなるうっかり屋さんだったのかもしれません。あなたならどちらの生き方選びます?

以上のレースの模様は劇場・ダンスにて実況されます。


エスパス(お茶の間)(75分ダンサー11人) 1999

ここはある大家族が住んでいる家です。不思議な事にここの住人は押し入れから出入りする事が

慣わしになっています。 後ろの方で少しだけ口を開けた押入れの隙間の向こうには何があるという

のでしょうか。 裸電球の灯る部屋に一人また一人と押し入れから出てきます・・・

これはスペースシリーズのデラックスバージョンです。 四角く区切った小さなエリアで男と女・

男と男・女と女・男女入り混じり4人・8人と様々な組み合わせで繰り広げられるダンスバトルです。

見ようによっては妖怪達の不気味な家族会議に見えるかもしれない異様な世界です。(撮影:福永 幸治)


スペース4.5(レッドトリッパー)(20分ソロ) 1999

 

自分の身体をメジャー代わりに使い、白いビニールテープを用いて床に白いエリアを創るところから始まる。そこは閉塞された狭い空間ですが、ここには喜怒哀楽様々な感情が入り混じった無限の広がりを感じさせる空間があります。

ただでさえ限られた舞台空間の中に、もう一つ絞り込んだ場創り淡々と動く。

これは自分に課した一つの実験場でもある。

限られたスペースの中、雰囲気で見せるのでなく動く事に重点を置き、最後までとどまることなく踊り続ける。

19996月 芸術祭典・京 京都国際交流会館プレミア

 

時がどのような数字を刻もうが、私はこのスペース4.5(四畳半)で生きてきました。

狭い閉塞された空間ですが、 ここには喜怒哀楽様々な感情が入り混じった無限の広がりを感じさせる空間があります。

ただでさえ限られた舞台空間の中に、 もう一つ絞り込んだ場を造り淡々と踊る。

これは自分に課した一つの実験の場でもある、限られたスペースの中、 雰囲気で見せるのでなく動く事に重点を置き、

最後まで止まることなく昇華に至る。


スペース6 (25分ダンサー4) 1999

ここは四角く区切った小さく狭い人工的なスペースではありますが、見方によっては我々にとって、 かけがえのない無限の広がりを持つ広大なスペースと化するのです。ここでは、喜怒哀楽に代表される様々な感情と肉体と が混沌として存在しています。この狭いスペースの中で、四つの身体と四つの感情を攪拌する事によって、 この空間に何が化学反応として立ち起こってくるのでしょうか。基本的にはスペース4.5で踊られた場とダンスを、 四人で踊るとどうなるのかという発想から生まれた作品。


トリップ [バニョレ国際振付賞ノミネート作品] (25分ダンサー4) 1998

一人一人がそれぞれの空間を移動している。4人が出揃った時から、時間と空間が錯綜しだす。

 ある時は時間を共有し、またある時は空間を共有する。そしていつしかお互いの心に触れ合い共に歩き始める。

 肉体のダイナミズムの中に、内的心理描写を盛り込み、自分と他人との間を行きつ戻りつする人の心の葛藤や、 

人が空間をさまよい錯綜する様をユニークな動きで描いた作品。


セキバク (30分ダンサー3人・エキストラ数名) 1997

感情を抑えれば抑えるほど、サディスティックに暴力に走って行く男。はっきり「NO」と言えず、 ズルズルと男の言いなりに落ちて行く女。ただひたすらに男の後を追い、ジレンマに落ち自暴自棄になる女。 悲しみが衝動を起こしてしまう。襲われた女も悲しいし、襲ったほうも悲しい。他人とのコミュニケーションが薄くなった今日、 自分をどう表現すれば良いのかわからない3人の若者に焦点をあて、ストーカーを題材にし、言葉では言い表せない潜在的な感情を、 暴力的な二組のダンスで表した作品。


不条理の天使 (20分ソロ) 1995

あらゆるものを手に入れたいと望む一人の男が、欲望をかなえるたびに向かって行く場所は天国か地獄か。

 マイムとダンスをフュージョンした形でアルチュール・アッシュの曲にのせコミカルに演じられた作品。


フィッシュダンス (15分デュオ) 1994

川のせせらぎ・列車の汽笛・遮断機のノイズ・雨の音・風の音・虫の音

田舎風景と都会の雑踏の音を絡ませ、その音情景の中に自分自身を置き、 ドキュメンタリー風に感じるままに動きを作り上げた記念すべき第一作。


レクイエム (10分ソロ) 1994

叙情的なピアノの調べ、中原中也の哀しくノスタルジックな香りのする、刹那的な男の物語。この音と詩との出会いからインスピレーションを得、浴衣と下駄で一人の死へ向かう男の哀しみを、淡々と演じ踊る。